教室の特徴
当教室は、現在常勤および非常勤医師19名、大学院生2名、視能訓練士9名、医師事務および医局秘書3名が診療、研究、教育に携わっております。
また県内の関連病院(25施設)のうち13施設に19人の医局出身者が常勤勤務しております。
県内のほぼすべての眼科疾患に対して、緑内障、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性、黄斑浮腫、角膜疾患、ぶどう膜炎、神経眼科、弱視斜視、未熟児網膜症、ロービジョンなどの専門外来を開設することで高い診療レベルで対応できるよう努力しております。
女性の医師も多く在籍します。研修期間を終えれば、一通りの診断治療技術が身につくので、出産・育児に際して一時的な休職、個々の状況に応じた無理のない段階的な仕事復帰も可能です。このように仕事と育児を両立しながら長期にわたり継続していける診療科といえます。また学内にも女性研究者がその能力を最大限発揮できるようライフイベントと研究を両立するための支援体制が整っております。
教室の歴史
1944年(昭和19年)に初代眼科教授として佐藤得自先生(慶應義塾大学、昭和10年卒)が就任されました。
その後、嘱託として眼科学の講義や診察を行なっていた加藤静一先生(東京帝国大学、昭和10年卒)が、1946年(昭和21年)6月30日付で第2代教授に就任されました。戦後、日本初とされる巨大電磁石を作成し、多くの眼内鉄片異物を摘出されました。また当時の白内障手術は肉眼で短時間に終わる嚢外摘出術がほとんどでしたが、「嚢外摘出術+人工レンズ挿入術」を早くから取り入れていました。他にも信州大学附属病院長、信州大学学長を歴任されました。
1974年(昭和49年)5月に瀬川雄三先生(東京大学、昭和30年卒)が第3代教授に就任されました。緑内障の専門家として隅角線維柱帯の分野で活躍されました。
1995年(平成7年)9月に第4代教授として吉村長久先生(京都大学、昭和52年卒)が就任されました。吉村教授は加齢黄斑変性をはじめとした網膜硝子体の分野で大変活躍されました。
2004年(平成16年)12月には第5代教授として村田敏規教授(九州大学、昭和61年卒)が就任し、糖尿病網膜症をはじめとした網膜硝子体の分野で活躍され、平成26年12月で就任10周年を迎え、現在に至っています。
信州大学眼科学教室の年表
- 1944年(昭和19年)
- 佐藤得自先生が初代信州大学眼科学教授に就任
- 1946年(昭和21年)6月
- 加藤静一先生が第2代信州大学眼科学教授に就任
- 1949年(昭和24年)
- 信濃眼科同人会発足
- 1950年(昭和25年)
- 信濃眼科同人会を長野県眼科同人会へと名称変更
- 1958年(昭和33年)7月
- 加藤静一教授が信州大学医学部附属病院長に就任
- 1970年(昭和45年)6月
- 早野三郎助教授が第2代岐阜大学眼科学教授に就任
- 1973年(昭和48年)10月
- 加藤静一教授が信州大学学長に就任
- 1974年(昭和49年)5月
- 瀬川雄三先生が第3代信州大学眼科学教授に就任
- 1979年(昭和54年)
- 中部眼科学会開催(松本市)
- 1995年(平成7年)9月
- 吉村長久先生が第4代信州大学眼科学教授に就任
- 1996年(平成8年)1月
- 信州臨床眼科研究会設立
- 2004年(平成16年)4月
- 吉村長久教授が第10代京都大学眼科学教授に就任
- 2004年(平成16年)12月
- 村田敏規先生が第5代信州大学眼科学教授に就任
第2代 加藤静一教授
第3代 瀬川雄三教授
第4代 吉村長久教授
第5代 村田敏規教授